マウリッツの深い闇~Johan Maurits and the Mauritshuis @Mauritshuis Museum in Den Haag

2021年6月3日木曜日

デン・ハーグ マウリッツハイス美術館 展覧会

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フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》を所蔵していることで知られるマウリッツハイス美術館の建物は、ナッソー・シーゲン・ヨハン・マウリッツ伯爵(1604-1679)が17世紀に建てたものです。

マウリッツハイスとはマウリッツの「家」という意味で、もともと美術館の建物はマウリッツ伯爵の個人邸宅でした。

マウリッツハイス美術館では昨年から常設展示の一室にに「ヨハン・マウリッツとマウリッツハイス」の一角を設けています。ヨハン・マウリッツがオランダ西インド会社の総督として赴任した当時のブラジルの様子や、マウリッツハイスの建築物としての歴史が作品とともに語られています。


Jan de Baen, Portrait of Johan Maurits (1604-1679), Count of Nassau-Siegen, Founder of the Mauritshuis, c. 1668 - 1670, Mauritshuis Museum, Den Haag


ヨハン・マウリッツはオランダ西インド会社の植民地であるオランダ領ブラジルの総督に任命され、ブラジルの北東部にサトウキビ畑と製糖工場を作りました。1636年から1644年までこの地を統治したマウリッツは、ここでの収入をオランダの個人邸宅の建設費用に充てました。この個人邸宅がのちのマウリッツハイスとなります。

ヨハン・マウリッツは芸術家や科学者をブラジルへ連れていき、現地の自然や住民たちがの様子を記録させ、芸術や生物学等に貢献してきたことが注目されていました。



例えばオランダ・ハーレムの画家フランス・ポストはマウリッツがブラジルに伴っていった芸術家や科学者のひとりで、アメリカ大陸の風景を描いた最初のヨーロッパの画家です。

芸術や科学に対して理解があり、芸術家や科学者をブラジルに連れて行った「啓蒙的」な人物であると語られてきたヨハン・マウリッツですが、近年においては、それは彼のほんの一面の評価に過ぎず、全体像とは異なっていると批判されるようになりました。



なぜなら、彼は大西洋の奴隷貿易においても重要な役割をになっていて、彼の支配の下で少なくとも24,000人の奴隷にされたアフリカ人がブラジルに移送されたからです。


Left: Jan Mijtens, Portrait of Maria of Orange (1642-1688), with Hendrik van Nassau-Zuylestein (d. 1673) and a Servant, c. 1665, Mauritshuis Museum, Den Haag
Right: Adriaen Hanneman, Posthumous Portrait of Mary I Stuart (1631- 1660) with a Servant, c. 1664, Mauritshuis Museum, Den Haag


これまでマウリッツハイス美術館で展示されていた絵画において奴隷貿易や奴隷を使用した労働が描かれていても、ヨハン・マウリッツの暗い一面のように今までほとんど「目に見えないもの」として扱われてきました。

たとえば、上の2作品とも白人の王女にばかり注目が集まり、エキゾチックな「アクセサリー」として加えられた黒人の少年には言及されません。


Govert Flinck, Girl by a High Chair, 1640, Mauritshuis Museum, Den Haag


上の作品でポーズをとるのは大人のように着飾った幼い少女です。美しい花飾りのヘアドレス、金のネックレス、そして金で装飾されたおしゃぶりを肩から斜めにかけています。



Detail: Govert Flinck, Girl by a High Chair, 1640, Mauritshuis Museum, Den Haag


彼女の高価な衣服や装飾品に目を奪われますが、ハイチェアに目を向けると、ブラジル産の砂糖をふんだんに使ったお菓子があります。これは、この少女の贅沢な世界と、砂糖プランテーションで働く人々の厳しい現実を結びつけるものです。



Jan Steen, Girl Eating Oysters, c. 1658 - 1660


それから、西欧諸国が海や新天地の派遣を争ったのは胡椒などのヨーロッパにはなかった香辛料を手に入れるためでもありました。

これまで上の作品は牡蠣の寓意や男女の仲について言及されてきましたが、銀製の皿やその上の漏斗状の紙に包まれた胡椒の出処については無視されてきました。

銀や胡椒などのスパイスも奴隷の労働によってオランダにもたらされたものです。


Detail: Jan Steen, Girl Eating Oysters, c. 1658 - 1660

近年起こったBLM運動以前から「オランダ黄金時代」の見直しに関する研究は行われており、その一つの成果がマウリッツハイス美術館の常設展示「ヨハン・マウリッツとマウリッツハイス」です。今後もこの研究は続けられるそうです。



Johan Maurits and the Mauritshuis
2020-

Mauritshuis Museum
Plein 29
2511 CS Den Haaf
https://www.mauritshuis.nl/en/
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ミイル。ブログ Miruu 管理人。オランダ芸術や街散策を中心に、美術だけでなく建築なども含めた芸術について広く紹介します。 Twitter: ミイル@miirublog

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