江戸時代までの日本人にとって、肌を露わにすることはそれほど特別なことではありませんでした。廻し一本で挑む相撲だとか、炎天下で上半身裸になって畑仕事をするだとか、男女一緒に公衆浴場に入っていただとか、肌を露出することは日常のことでした。
それが19世紀になってさまざまな西洋の思想が日本に入ってきたときに、裸体がセクシャルなものだとの観念も同時に入ってきて、厳しい風俗法などがつくられることになりました。
上の写真は外国人用のお土産として写真館で撮影された一枚。
上半身裸の女性たちが日本式のお風呂に入る様子がエキゾチックで(しかもエロチックで)あるために需要があったそうです。
中山ウント、1930's |
明治期の写真は西洋絵画の影響が濃いです。中山ウントは油彩画を描いていて、その構図等を写真に転用していたようです。
陰影が鉛筆デッサンのようです。
その後、日本の写真史を辿って森山大道や荒木経惟などの作品が並べられいるのですが、その中でも異彩を放っていたのがフォトグラファーハルの作品。
布団圧縮袋の中で一塊になってしまった恋人同士の二人。見てるこっちも息苦しくなってきます。
となりで流されていたハルの動画によると、この真空パックは引き寄せられる愛のパワーを表現するために用いたそうです。愛の引力に引き寄せられて身動きが取れないまでに密着しています。
愛のパワーを表現する「手段」として裸体を用いているので、性の対象としての淫靡な裸体を映した作品が多いなかで異彩を放っていました。
日本のヌード
2019.03.15-2019.09.08
Sieboldhuis
Rapenburg 19
2311 GE Leiden
http://www.sieboldhuis.org/ja/
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