8月30日まで、オランダ・ロッテルダムのクンストハル(Kunsthal)では、私たちの視線をはるか高い天空へと誘ってくれる興味深い展覧会が開催されていました。イギリスの情熱的なコレクター、マルコム・グッドマン氏が世界中を旅して集めた300点以上の凧が一堂に会する「Mr. Goodman: The Kiteman」展です。
子供の玩具、あるいは伝統的なお祭りの道具。私たちは「凧」をそんな風に捉えがちです。しかし美術史、そして人類の文化史という補助線を引いてこの展示を眺めると、そこには「風を彫刻し、空間をキャンバスに変える」という人類の表現衝動が見えてきます。
浮世絵から現代デザインへ:空を飛ぶ「絵画」としての魅力
本展の大きなハイライトの一つが、日本の職人の手による繊細かつ大胆に描かれた手描きの和凧たちです。
日本の浮世絵や版画が19世紀後半のヨーロッパに「ジャポニスム」という巨大な地殻変動を起こしたことは広く知られています。しかし、この展覧会が教えてくれるのは、紙に描かれた四角い絵画が、単に室内の壁を飾るだけでなく、「空に浮かび、風と対話する動的なメディア」でもあったという事実です。
葛飾北斎や歌川国芳が描いたような力強い武者絵や生き物たちが、大空という無限の背景に放たれたとき、それは額縁から解放されたキネティック・アート(動く美術)へと昇華します。
また、今回はオランダの現代デザイン集団「The Kite Club(ザ・カイト・クラブ)」がキュレーションに協力しています。写真家やグラフィックデザイナー、プロダクトデザイナーらがグッドマン氏のコレクションに魅了され、現代的な視点でその美を再構築した空間は、伝統工芸と現代美術が交差する見事なインスタレーションとなっています。
祈りと響き:境界線を超えるアートの役割
展示をさらに深く進むと、凧が単なるビジュアルアートの枠を超え、人々の「祈り」や「見えないエネルギー」を可視化する依代(よりしろ)であったことが伝わってきます。
ある文化では、病人のベッドの上に3日間凧を掲げ、その後、糸を断ち切って風に流すことで、病を遠くへ連れ去るという治癒の儀式に使われていました。
また、 竹のフルートや弦を仕込み、風を受けて音を出す凧も展示されています。それはまるで、風という目に見えない自然の彫刻家が奏でる、天空のオーケストラです。
これらは、現代美術でいうところの「サウンド・アート」や「コンセプチュアル・アート」の精神に通じるものがあります。美術が美術館という静謐な空間に閉じ込められるずっと前から、人々は凧を使って、天と地、人間と自然、そして生と死の境界線を美しく繋ごうとしていました。
一人の情熱が、世界の空をつなぐ
この展覧会を語る上で欠かせないのが、コレクターであるマルコム・グッドマン氏の物語です。1970年代に日本や中国を旅したことをきっかけに凧に魅了された彼は、50カ国以上を巡り、500点を超えるコレクションを築き上げました。

かつてイギリスの古いB&Bを買い取り、そこを「凧の美術館」にしようと部屋中を凧で満たしたものの、防火規制の壁に阻まれて夢が叶わなかったという、ちょっぴり切なくも温かいエピソードも、本展では写真と共に紹介されています。
グッドマン氏の夢は、一見風変わりな「個人の執着」のように思えるかもしれません。しかし美術の歴史とは、いつの時代もこうした「狂気的なまでの愛」を持った個人の手によって守られ、次の世代へと受け継がれてきたものです。彼の情熱がなければ、世界中の空を舞ったこれらの芸術が一堂に会することはなかったでしょう。
おわりに:クンストハルで見上げる、私たちの「自由」
第二次世界大戦中には無線のアンテナとして軍事利用された歴史も持つなど、凧は人間の光と影を映す鏡でもあります。けれど、クンストハルに展示された300点以上のカラフルな凧たちを見つめていると、最後に心に残るのは、純粋に「空へ、もっと高くへ」と手を伸ばした人間の、無垢な憧れです。
キャンバスを飛び出し、重力に抗いながら風を孕む凧たちが、私たちの心をもう一度、広い空へと連れ出してくれるはずです。
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