モネやルノワール、ドガなど印象派の画家たちとパリを写真に残した写真家たちの視点を通じ、現在の私たちが知る姿へと進化したパリを空から眺めたフェリックス・ナダールの気球に乗ったような気分で体験できました。
第一回印象派展の会場となったナダールの写真スタジオ |
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ナダールが気球から撮影したパリ風景、1868年 |
歴史的な再会:モネの都市風景画
第一回印象派展が開催される7年前の1867年、クロード・モネはルーブル美術館のバルコニーから見えるパリの景色を3点描きました。
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Calude Monet, Church of Saint-Germain-l'Auxerrois, 1867, Staatliche Museen zu Berlin, Nationalgalerie |
ルーブル美術館の裏にあるサンジェルマン・ロクセロワ教会。ステンドグラスをはめ込んだおおきなバラ窓が美しい教会です。
教会の手前の木陰にはたくさんのパリ市民が憩っている様子が描かれています。
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Claude Monet, Garden of the Princess, Louvre, 1867, Allen Memorial Art Museum, Oberlin College, Oberlin, Ohio |
珍しい縦型の風景画です。手前の庭園は斜めに大きな面として横切っています。その奥に馬車に乗ったりセーヌ川沿いを散歩するパリ市民たちがわずかな筆のタッチで活き活きと描かれ、さらに奥にはパリの新しい建物が立ち並び、画面の一番奥には特徴的なドームをもつパンテンオンの影から雲が広がる空に目線を誘導され、パリの町の奥行きを感じます。
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Claude Monet, Quai du Louvre, 1867, Kunsumuseum Den Haag |
これは縦型の作品と同じ場所から描いた作品です。この作品の手前に緑の庭園が拡がっていますが、ここでは画面中央のセーヌ川周辺に焦点があてられ、セーヌ川沿いを行き交うパリ市民たちのファッション、とくにパリジェンヌたちのカラフルなドレスや日傘に目が行きます。
現実のパリ
展示の中心となるこれらの傑作を囲むように、19世紀パリの物語が広がります。貴族や裕福層が楽しんだ都市の贅沢さだけではなく、それを支えた労働者たちの生活、時代の厳しさなどが記録されています。
19世紀半ば頃までのパリは生活環境・都市衛生は極めて劣悪でした。暗く、風通しが悪く、非常に不衛生で病気や疫病が蔓延する街でした。そこで、ナポレオン3世の指示のもと、パリの衛生状態を改善し、交通の利便性を向上させることを目的としてセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンが主導した大規模な都市計画「パリ大改造」が行われました。
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Honoré Daumier, From the series News of the Day, 'Parisians have found a way to get around in rainy weather, on the paved boulevards', 29 June 1850 |
パリ大改造が行われる以前は、雨が降ると道がぬかるみ、大変歩きずらいものでした。
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Construction of the Avenue de l'Opéra in Paris. Excavation of the Butte des Moulins, 24 February 1876, Loan from the Rijksmuseum |
ルーブル美術館からオペラ座をつなぐオペラ通りの工事の様子。たくさんの労働者とロバ(?)の姿が見えます。
パリ大改造によりオペラ通りなどの大通りが整備され、衛生環境が整い、建物の高さや外観を統一することでパリの美しい街並みが生まれました。
そして新しいパリの街は活気が生まれ、エネルギーに満ち溢れていました。
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Claude Monet, La Rue Montargueil, in Paris. Celebration of 30 June 1878, 1878, Musée d'Orsay, Paris |
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August Renoir, Pont Neuf, 1872, National Gallery of Art Washington D. C. |
ファッションと自由:パリジェンヌの台頭
19世紀後半のパリジェンヌは新しいパリの象徴でした。デパートや劇場など公的な空間が彼女たちの自由を広げ、ファッションが街並みを彩りました。
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Right: Edouard Manet, Woman with a Fan (Portrait of Jeanne Duval), 1862, Museum of Fine Arts, Budapest |
左の作品はエドゥアール・マネが描いた女優ジャンヌ・デュバルの肖像画です。ジャンヌはかつてフランス領だったハイチ出身の移民です。しかし、マネはそんな彼女にファッショナブルなドレスに身を包み、宝石と扇子を身につけた真のパリジェンヌとして描いています。
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August Renoir, At the Café, c. 1877, Kröller-Müller Museum, Otterlo |
カフェでおしゃべりに興じるパリジェンヌを描いたルノワールの作品。
印象派の典型的なテーマであるこのようなカフェのような風景を描くことは、ベルト・モリゾやメアリー・カサットのような女性の画家たちにとってはできないことでした。なぜなら、女性は必ず付き添いがいる必要があり、ひとりで出かけることができなかったからです。
女性の画家たちが、男性の画家たちとは違い、家族や親しい間柄の友人らを家や庭と言った生活圏で描いたのはこういう理由がありました。
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Berthe Morisot, L'Anglaise (The Englishwoman), 1884, Private collection |
ただ、女性たちが表現される姿も時代によって変わり、モリゾやカサットのような女性画家たちが描く個としての女性像は、社会的変化の重要な一部でした。
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Mary Cassatt, Susan Seated in a Garden, c. 1882-1883, FAMM Museum (The Levett Collection), Mougins |
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Berthe Morisot, Daffodils, 1884, Private collection |
静物画は女性の画家たちにとって相応しい画題とされていました。
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Edgar Degas, At the Louvre - Museum of Antiquities, c. 1867, Kunstmuseum Den Haag |
そのような時代背景のなか、男性と同等に自由に街を歩き回れなかった女性の画家たちが、男性の画家たちと同じように行動できた数少ない場所のひとつが美術館でした。
右で優雅な立ち姿を見せているのが女性の印象派の画家メアリー・カサットです。カサットやベルト・モリゾといった女性の画家たちはほかの印象派の画家たちのためにモデルを務めることもありました。
さいごに
この展覧会は、モネがルーブル美術館から描いた3作品を軸に、印象派の画家たちが生きたパリの街の移り変わりや、女性や女性画家が直面した当時の社会的な変化や男性ではないことで被る困難にも光が当てられていました。ナダールによる気球から撮影された空撮写真のように遠くに感じていた19世紀のパリの様子が、印象派の絵画や現実のパリを映し出した写真を通じて立体的に理解することができたような気がします。
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Frederic Bazille, Bazille's Studio (also known as The Studio on the Rue la Condamine), 1870 |
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