海辺の静かな美術館で繰り広げられるのは、英国のコンセプチュアル・アーティスト、ライアン・ガンダー(1976年生)と、19世紀フランスの画家・彫刻家エドガー・ドガ(1834–1917)の対話です。副題「Pas de Deux(パ・ド・ドゥ)」が示すように、まるで二人のアーティストが舞台上でステップを交わすような展覧会になっていました。
ドガの「14歳の小さな踊り子」を現代に解き放つ
展覧会の中心にあるのは、ドガの代表作《14歳の小さな踊り子(Petite Danseuse de Quatorze Ans, 1880-1881/1922)》です。
若いバレリーナのリアルな姿とバレエの厳しさ、青春の脆さを捉えた作品です。
1881年の初公開時、本物のチュチュや馬毛のウィッグを使ったリアルな表現と、挑発的とも受け取られたポーズが物議を醸したこの彫刻は、古典から近代への転換点として美術史に刻まれています。
ライアン・ガンダーは2008年からこの彫刻に着想を得たコンセプチュアルなシリーズを展開しています。ドガのバレリーナを台座から解放し、21世紀の日常や想像のシーンに置くことで、新たな物語を紡ぎます。
ガンダーの少女たちは、白と青のキューブとともに登場します。白は制度や美術館を、青は抽象的なアイデアや現代アートの思考を象徴しています。
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《You ruin everything (the economy of zero's)(君はすべてを台無しにする(ゼロの経済))》(2011) |
初の試み:ガンダーのバレリーナ全22作品とドガのオリジナル
この展覧会は、ガンダーのバレリーナシリーズ全22作品が初めて一堂に会する機会です。さらに、Museum Boijmans Van Beuningenから貸し出されたドガのオリジナル彫刻と並ぶことで、過去と現在の対話がより鮮明になっています。
青い箱に入ったドガのバレリーナの少女と、左奥にガンダーの少女
本当はこの構図が見たかった……
タイトルが語る、少女たちの物語
ガンダーの作品タイトルは、詩的で物語性に富み、鑑賞者を想像の世界へと誘い、観客をドガの少女が現代で経験するかもしれない情景へと誘います。たとえば《Come up on different streets, they both were streets, or, Absinth blurs my thoughts, I think we should be moving on (違う通りから来たけれど、どちらも通りだった、あるいは、アブサンが思考を曇らせる、だから僕らは先へ進むべきだと思う)》(2009)では、少女が窓の外を眺めています。「見られる存在」だったドガの踊り子が、「見る存在」へと変化しているように感じられます。
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《Come up on different streets, they both were streets, or, Absinth blurs my thoughts, I think we should be moving on (違う通りから来たけれど、どちらも通りだった、あるいは、アブサンが思考を曇らせる、だから僕らは先へ進むべきだと思う)》(2009) |
また、下の《mordant wit, or trading on being misanthropic「辛辣な機知、あるいは人間嫌いを売りにすること)》(1976)では、皮肉と孤独という二つの態度を対比させながら、現代社会におけるアーティストの在り方が問われています。
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《mordant wit, or trading on being misanthropic「辛辣な機知、あるいは人間嫌いを売りにすること)》(1976) |
展覧会の解説パネルに前にある作品のタイトル《糸につながれた運命、あるいは、あなたの雄弁な作品はどもりのように現れる》は、これから見るダンガーの作品が一筋縄ではいかないことを予告するようでした。
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《Fortune on a string, or, your eloquent works appear like a stuttering(糸につながれた運命、あるいは、あなたの雄弁な作品はどもりのように現れる)》(2011) |
そして、この正座して展覧会の説明文を読む姿をみたとき、日本人としての性なのか、一瞬、私もつられて正座をしそうになりました(笑)
タイトルなき展示室で感じるユーモアと批評性
ここまで作品タイトルについて書いていきましたが、展示室には一作品を除いてタイトルの表示はありません。タイトルを知るには展示室入口に置かれた紙のパンフレットを確認しないといけないのですが、ほとんどの観客は手に取らずに作品だけを見て歩いています。おそらく美術館側もタイトルを解説も読まないまま鑑賞してほしいのだと思います。それでも、ガンダーのユーモアと批評性はしっかりと伝わってきます。
左の白いキューブから足の先が見える
カラフルなキューブで遊んでいる少女たちに隠れて、やさぐれて煙草を吸っている少女。どこか物憂げでドガの絵にいそうな雰囲気を漂わせています。
「Pas de Deux」──二人のステップが生む対話
この展覧会の魅力は、単なる時代やスタイルの違いを並べるのではなく、ドガとガンダーが互いに“応答”しているように感じられる点にあります。ドガが捉えたのは、バレリーナの身体とその内面に潜む緊張感。ガンダーはその身体を現代に引き寄せ、少女たちに物語性と選択肢を与えます。たとえば、彼女たちは窓の外を眺めたり、煙草を吸ったり、キューブで遊んだりと、自律的な振る舞いを見せるのです。それはまるで、舞台の上で振付師の指示に従っていた踊り子が、舞台を降りて自分の人生を歩み始めたかのようです。
そのなかで私たち鑑賞者は、作品と対話しながら彼女らの踊りにそっと足を踏み出しているかのようでした。「Pas de Deux」は、二人のアーティストの対話であると同時に、私たち鑑賞者と彼女たちがともにステップを踏む空間でもありました。
今後、対話がより必要になってくる分野
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