彼はその生涯のほとんどをデルフトで過ごしています。
デルフトにはたくさんのフェルメールの縁の地が残っていますが、当時の姿のまま残されている場所はほとんどありません。しかしながら縁の地をご紹介することでフェルメールを身近に感じていただけたらうれしいです。
今回は、フェルメールの生家です。
フェルメールはデルフトの街の中心マルクトからフォルダー運河をわたったVoldersgracht25/26で生まれました。
上の写真の歯医者と奥のアンティークショップのあるところです。19世紀にこの建物の正面が改装されたために、フェルメールの生きていた時代とは全く変わっています。
フェルメールは1632年、父レイニールがこの場所で営んでいた居酒屋兼宿屋「空飛ぶ狐亭」で生まれました。
部屋には空飛ぶ狐を描いた絵画が飾られていて、それが屋号のもとになったそうです。
「空飛ぶ狐亭」にはデルフトにやってきた画家たちが滞在し、デルフトの美しい街並みを描きました。それらの絵は画商であった父レイニールが買い取ったり、宿泊のお礼として彼に贈られたりしたそうです。
このような環境で育ったフェルメールは、幼い頃から画家たちと触れ合ったりたくさんの絵を目にする機会を得ることで、絵の描き方や物の見方を自然と身につけていったかもしれませんね。
*追記(2019年4月17日)
フェルメール生家が宿泊施設に生まれ変わっていました。
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