マルクトの一角に、フェルメールが9歳の時に移り住んだメッヘレン亭があります。
生家の「空飛ぶ狐亭」からは歩いて一分ほどのところです。
青色のひさしのある建物です。ここでも、フェルメールの父レイニールは居酒屋兼宿屋を営み、画商をしていました。
現在はデルフト焼を売るお土産屋さんになっていて、入口にタイルの破片を組み合わせてできた《真珠の耳飾の少女》が掛かっています。
でも、この建物もフェルメールが住んでいた家ではありません。建物の右側を通る道路の拡張工事のため、1889年に土台を残して取り壊されてしまったからです。その後、新たに建て直されたのが現在残っている建物です。
建物右側の2階あたりに、上の石板が埋め込まれています。1632年に画家フェルメールが生まれたメッヘレン亭があったと書かれていますが事実ではありません。知らなければ、信じてしまうところです。
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