《ベートーべン・フリーズ》 はグスタフ・クリムトが1902年4月15日から6月27日にかけて開催されたウィーン分離派視覚芸術家協会がセセッシオンで行った第14回展覧会のために制作した壁画で、ベートーべンの交響曲第九番を視覚的に解釈・表現したものです。
この展覧会は21人のアーティストが参加し、クリムトのこの壁画は展覧会に入ってすぐの左側の通路にあったそうです。
セセッシオンの建物は屋上に設置された金色の月桂樹の葉でできたドーム(通称:黄金のキャベツ)が目印 |
展覧会が閉幕後、翌年開催されるクリムトの大回顧展まで作品はそのままの状態で保存されました。その後、壁画は8つにカットされてコレクターたちの手を経たのち、1985年にセセッシオンに戻ってきました。ただし、もとの展示場所ではなく、展示場所は地下へと変更されました。
《ベートーべン・フリーズ》はベートーべン第九交響曲に基づいて3つの部分に分かれていて、「幸福への憧れ」(左の壁)、「敵対する勢力」(中央正面の壁)、そして「歓喜の歌」(右の壁)へと連続して描かれています。
黄金の騎士の後ろにいる女性は左から「野心」と「憐み」の象徴です。
彼女たちの後ろには痩せて目が落ちくぼんだ「死」の象徴が描かれています。
左上の怖いけどちょっと愛嬌のあるの4つの顔の解説を読んだのですが、忘れてしまいました。さまざなま病気を表現していたと書いてあったような、そうじゃなかったような…。
巨人テュフォンの右側には「淫欲」や「不貞」そして、大きなお腹の「不摂生」を表す人物像がいます。
最初の壁から浮遊していた「幸福への憧れ」を体現する女性は、巨人テュフォンのいる「敵対する勢力」の上を飛び越えて、詩の女神の場所へと到りました。
ベートーベンはシラーの詩「歓喜に寄せて」を書き直して第九の「歓喜の歌」を制作したので、それをなぞらえているんだと思います。
そして、詩の女神の右側には空白が拡がります。
この空白部分は破壊されてなくなったのでもなんでもなくて、「あえて」の空白です。
初めてこの《ベートーベン・フリーズ》が公開された第14回ウィーン分離派展のとき、この空白部分の下の壁が窓のように壁が抜けていて、隣のメインホール中央に置かれた椅子に座って思索にふけるベートーベンの像が臨むことができました。ここはベートーべンが第九交響曲をまさに生み出そうとしている緊張感のある場面です。
抱き合う恋人たちは「敵対する勢力」への勝利と「幸福への憧れ」が成就を表し、第九の「歓喜の歌」のもととなったシラーの詩「歓喜に寄せて」の一部
抱き合おう、諸人!
この接吻を全世界に!
を表しています。
1907年制作
展示室の中ではベートーベンの第九交響曲が流れていました。絵画と音楽の関係、それからここには書きませんでしたが当時のクリムトとウィーン美術界の(あまりよくない)関係などを考えていたら、一部屋だけなのに思ったより長い滞在時間になりました。
セセッシオン(分離派会館)
Vereinigung bildender Künstler*innen Wiener SecessionFriedrichstraße 12
1010 Vienna
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