具象画の逆襲。ハーグ美術館『London Calling』展で触れる「人間」の熱量と温もり~London Calling at Kunstmuseum Den Haag

2026年5月1日金曜日

デン・ハーグ ハーグ美術館 展覧会

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2026年2月14日から6月7日まで、オランダのデン・ハーグ美術館(Kunstmuseum Den Haag)では、戦後英国具象絵画の系譜を辿る大規模展覧会『London Calling』が開催されています。

抽象表現主義やミニマリズムが「絵画の死」を囁いた時代、ロンドンの地で「描くこと」に固執し続けた画家たちは、何をキャンバスに刻んだのか。14人の画家による約70点の作品群から、その豊かで人間味あふれる息吹を感じました。

スクール・オブ・ロンドン(School of London)

展覧会の核となるのは、1976年にR.B.キタイ(R.B. Kitaj)が名付けた「スクール・オブ・ロンドン(School of London)」です。

これは決して公式の芸術運動ではなく、互いに知り合い、ソーホーの夜を共有し、酒を酌み交わし、抽象表現主義やコンセプチュアル・アートが世界を席巻する中で、あえて具象絵画に固執した画家たちのゆるやかな連帯です。

彼らは、戦後の再建、移民の流入、階級やジェンダーの揺らぎなどを描きました。冷徹な「形式」を求める時代の裏側で、彼らは血の通った「人間の肉体と時間」を、生々しく描き出そうとしました。

ベーコンの叫びとフロイトの沈黙

展示室の最初の二部屋は、対照的な二人の巨匠によって飾られています。

Francis Bacon, A Seated Figure, 1961

フランシス・ベーコンの《A Seated Figure》(1961)は、一度見たら忘れられない強烈なインパクトを放ちます。激しく歪み、肉が溶け落ちたかのような人物像。鮮烈な青と赤のコントラストは、人間の内側に潜む「存在の不安」を抉り出すようです。


Lucian Freud, Boy Smoking, 1950-51

隣の部屋では、ルシアン・フロイトの《Boy Smoking》(1950-51)が静かに観客を待ち構えています。ベーコンの動的な歪みとは対照的に、ここにあるのは静謐で容赦のない観察眼です。皮膚の質感、浮き出る血管、灰の一粒一粒。理想化を一切排除した「ただそこに在る」という事実の重みが、厚塗りの層から伝わってきます。

デイヴィッド・ホックニー:光に照らされた親密さと孤独


David Hockney, My Parents,1977(展示されていませんでした)

デイヴィッド・ホックニーの部屋は、展覧会の中で最も明るく、穏やかな空間でした。《My Parents》(1977)は(ちょうど展示されていませんでしたが、)これまでホックニーの家庭で培われてきた穏やかな時間やなんでもない思い出などを想起させます。


David Hockney, Mr and Mrs Clark and Percy, 1970-71

David Hockney, George Lawson and Wayne Sleep, 1972-75

《Mr and Mrs Clark and Percy》(1970-71)や《George Lawson and Wayne Sleep》(1972-75)といった大型のポートレイトは、1970年代ロンドンの自由な空気感と、その裏にある孤独、親密な人間関係の距離感を、ホックニー特有の透明感ある色彩で写し出しています。


David Hockney, Tea Painting in an Illusionistic Style, 1961

また、学生時代の《Tea Painting in an Illusionistic Style》(1961)などの初期作からは、当時優勢だったミニマリズムへの挑戦として、彼がいかに「具象への回帰」を選択したのか、その決意の跡が見て取れます。

寓話と抑圧:ポーラ・レゴが暴く物語の暗部


Paula Rego, Bride, 1994

ポーラ・レゴの一室は、寓話的な緊張感に満ちていました。ポルトガル移民としてロンドンで生きた彼女は、家族の力関係やジェンダーの抑圧を、神話や童話の形を借りてキャンバスにぶつけました。

《Bride》(1994)に描かれた花嫁の表情には、結婚の喜びではなく、これから始まる人生への緊張と不安が滲んでいます。

左の壁: Paula Rego, The Pillow Man, 2004

《The Pillow Man》(2004)のような大作では、パステルの柔らかなタッチが、かえって心理の深淵にある暗部を際立たせていました。

多文化と記憶:神話からこぼれ落ちた「声」を掬い上げる

この展覧会の真の価値は、従来の「スクール・オブ・ロンドン神話」の枠組みを広げ、これまで陰に隠れがちだった表現者を正面から据えている点にあります。


Celia Paul, Painter and Model, 2012

セリア・ポール(Celia Paul)は、ルシアン・フロイトの伴侶・モデルとして知られています。彼女は薄く透明な絵の具の層を重ね、記憶の残響のような独自の世界観を築いています。主に描いていたのは自身の静謐な自画像や家族の肖像で、内面的な世界を独自に紡ぎ出します。


Denzil Forrester, Dub Dance, 1983

1980年代のレゲエ・クラブ文化を鮮烈な色彩とリズミカルな筆致で捉えたデンジル・フォレスター(Denzil Forrester)の《Dub Dance》(1983)です。暗いクラブの熱気、黒人の身体の躍動や活力がキャンバスから溢れ出します。この作品からはロンドンがいかに多文化の坩堝であり、抑圧された多様な声が響き合っていたかということが分かります。

冷たいコンセプトではなく、生きるための温もりを

フランク・アウアバッハの重厚な風景、マイケル・アンドリュースの内省的な群像、シルヴィア・スレイによるジェンダーを逆転させたヌード……。14人の画家が織りなす約70点の作品は、決して一枚岩の「運動」などではなく、一人ひとりが自らの血と肉を削るようにして「人間とは何か」を問い続けた、痛切で生々しい軌跡でした。


Frank Auerbach, The Sitting Room, 1964

Michael Andrews

Sylvia Sleigh,

作品と対峙していると、筆致の厚みや肌の温度、視線の微かな揺らぎ、制作そのものの熱量が、まるで今もそこに息づいているかのように伝わってきます。それは、生きることの重みと悦び、人の脆さと強さ、そしてどうしようもない孤独とつながりを、静かだけれど、確かな力で語りかけてきます。

『London Calling』は、単なる戦後英国具象絵画の回顧展ではありません。私たち自身が今、どのような時代に生き、どのように「人間であること」を感じ、描き、伝えていくべきかを、静かに、しかし強く問いかける展覧会でした。

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ミイル。ブログ Miiru 管理人。オランダ芸術や街散策を中心に、美術だけでなく建築なども含めた芸術について広く紹介します。Twitter: ミイル@miirublog

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