1881年、この地に生を受けたパブロ・ピカソは、幼少期の記憶という種を、生涯をかけて前衛という大樹へと育て上げました。
現在、マラガ・ピカソ美術館では、展覧会『Picasso: Memory and Desire(ピカソ:記憶と欲望)』が開催されています(2025年11月14日〜2026年4月12日)。1925年から1945年という、古典への回帰とシュルレアリスムの間で激しく揺れ動いた20年間に焦点を当てたこの展示は、単なる時系列の回顧ではなく、一人の芸術家の内なる魂の風景を、静かに、しかし深く覗き込ませてくれるものでした。
石膏の頭像が語る、父との決別と再会
展示室に一歩足を踏み入れると、正面の深い藍色の壁に掛けられた、一枚の絵画に目が引き寄せられました。ピカソの1925年の作品、《石膏の頭部のあるアトリエ(Studio with Plaster Head)》です。
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| Studio with Plaster Head |
キャンバスの中心に静かに鎮座する白い石膏像。それは、美術教育の伝統を象徴するモチーフでありながら、ピカソ自身が語るように、ピカソの父であり、最初の美術教師でもあったホセ・ルイス・ブラスコの面影をどこか宿しているように感じられます。
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| Francisco Rojo e Hijo, Portrait of José Ruiz Blasco, Father of Picasso, Màlaga, 18 September 1870 |
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| Pablo Picasso, The Artist's Father, Barcelona, 1896 |
たしかに細面の輪郭やしっかりした額、ゴツゴツとした顎のライン、波打つような髪のボリュームが父親に似ています。
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| Autoría Desconocida / Anonymous, José Ruiz Blasco During a Drawing Lesson at the School of Fine Arts ( La Llotja), c. 1900 |
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| Pablo Picasso, Academic Study, Barcelona, 1895 |
上の石膏デッサンはピカソが15歳のときに描いたものです。ピカソは15歳の頃、父から「もう教えることはない」と認められるほどの才能を示しました。伝統的な石膏デッサンを完璧にこなしながらも、やがて父の姓を捨て、母の姓を名乗る道を選んだ彼にとって、石膏像とは、逃れがたい「父権」や「伝統」の象徴でもあるのでしょう。
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| Pablo Picasso, Studio with Plaster Head, summer 1925 |
この作品の中ではピカソは石膏像を忠実に描くことはしませんでした。多面的な視点から解体された顔の輪郭、壁に不気味に伸びる影などが見えます。
そこには、幼い頃に父から受け継いだ「過去の記憶」をそのまま再生産するのではなく、今この瞬間の強い「欲望」で新しく作り替えようとする、生々しく、激しい力が感じられます。
美術史的に見れば、1920年代、多くの芸術家が戦争の傷から立ち直るために古典的な「秩序」へと戻ろうとした時代に、ピカソが逆に、無意識の深い世界や夢を大切にするシュルレアリスムへと、静かに、しかし確実に舵を切った瞬間でした。
時代を共にした「視線」たちの響き合い
この展覧会の興味深かった点は、ピカソの《石膏の頭部のあるアトリエ》を基軸に、同時代の芸術家たちがどのように石膏像というモチーフと対峙したかを対比させている点です。
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| Giorgio de Chirico, The Nostalgia of the Poet, 1914 |
ピカソの作品からさかのぼること11年前に描かれたデ・キリコの形而上学的な静物画では、石膏像が時間の凍結された無機質な存在として描かれています。デ・キリコの作品に描かれた石膏像は外界の不在を静かに嘆いているのに対し、ピカソが描いた石膏像は、内側から溢れ出す欲望によって、今にも動き出しそうな生のエネルギーを孕んでいます。
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| Fernand Léger, Composition with Hand and Hats, 1927 |
一方、レジェは1924年頃から石膏の胸像や影のプロフィールを独自の機械的・幾何学的なスタイルで取り入れ始めました。ピカソが石膏像を心理的な分裂と欲望の象徴にしたのに対し、レジェは近代のスピード、工業化、客観的な再構築を体現しています。
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| Man Ray, Attempt at a Self-Portrait, 1934 / posthumous copy, 1982 |
マン・レイは、石膏像や人体の断片(特に頭部や胸像)を光と影、光学的な操作(ソーラライゼーションやフォトグラム)で扱い、現実とその「影」や「二重像」の関係を問いかけました。
特にこの《Attempt at a Self-Portrait》は、自己のイメージを石膏のような冷たい古典的モチーフと重ね合わせ、記憶・欲望・自己同一性の揺らぎを表現しており、ピカソが石膏頭像に込めた「過去の記憶を現在の欲望で塗り替える」テーマと響き合っています。
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| René Magritte, The Face of Genius,1927 |
ピカソの《Studio with Plaster Head》に着想を得たマグリットの初期の重要な作品の一つです。ピカソの石膏頭像が「天才の顔」として再解釈されるような、マグリットの知的遊び心が感じられます。
この作品は、ピカソの1925年《石膏の頭部のあるアトリエ(Studio with Plaster Head)》に直接的に強く着想を得た・影響を受けた作品として、非常に重要な位置を占めています。
ダリは1926年にパリでピカソを訪ねた直後、この絵を描きました。ピカソの作品に登場する石膏の胸像を、ダリは切断された頭部として再解釈し、自分自身の肖像として取り入れています。
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| Salvador Dali, Still Life by Mauve Moonlight, 1926 |
この作品は、ピカソの1925年《石膏の頭部のあるアトリエ(Studio with Plaster Head)》に直接的に強く着想を得た・影響を受けた作品として、非常に重要な位置を占めています。
ダリは1926年にパリでピカソを訪ねた直後、この絵を描きました。ピカソの作品に登場する石膏の胸像を、ダリは切断された頭部として再解釈し、自分自身の肖像として取り入れています。

さらに、キリスト教の「首切り(decapitation)」のイコン(聖人像など)を重ね合わせ、記憶・欲望・自己同一性の分裂を表現しています。これが、ダリが後に発展させる「パラノイア的批判方法(paranoiac-critical method)」の最初の重要な基盤となったと、展覧会では指摘されていました。
レジェ、マン・レイ、マグリット、ダリとピカソが描いた石膏像が多方面に影響を与えていたことが分かります。
終わりに:記憶は欲望によって変容する
展覧会の終盤、バルザックの『知られざる傑作』に寄せたピカソの挿絵シリーズを眺めながら、私は考えました。
「記憶」とは、過去に記憶したときのままの姿を保ったものだと考えていましたがそれは間違っていたのかもしれない。「記憶」はそうあってほしいという現在の「欲望」によって、常に形を変え、色を変え続けるものなのではないか、と。

マラガの街を歩けば、かつて幼いパブロが見つめたであろう鳩や闘牛の姿が今も至る所に息づいていました。それらを思い出すとき、私の記憶もまた、今の私の欲望によって新たな色彩を帯びていきます。
「あなたの記憶は、今のあなたの欲望によって、どんな色に塗り替えられていますか?」
そんな問いを突き付けられた展覧会でした。
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